映画『アフターサン』感想

　自分がクィアであること、その性質や概念が固有名詞として存在しないこと、そしてこの先も存在し得ないかもしれないことの寂しさや孤独感にこの映画は誠実に寄り添ってくれたという安心感、わたしはこの物語を知っているからこの先も大丈夫と思える心強さ。『after sun』はそれらを丸ごと与えてくれる作品だった。
　ひらりささんのツイートをみて知り、絶対に観にいこうと漠然と思った。フライヤーもトレイラーもあらすじも特にチェックしようとは思わず、半ば取り憑かれたかのように自然に映画のチケットを取って足を運んだ。駅に行く途中、自転車のギアが外れて電車に遅れそうになったりもしたけど、本当にみてよかった。

　この物語は、親と子という関係にある二人の人間が過ごした一夏の話である。
　わたしは自分の中でゆっくり浸りたかったから観た直後は人の感想はできるだけ避けたけど、落ち着いたあと軽くみてみるだけで人によって焦点をあてる部分が違っていたのが興味深かった。物語の主題すら鑑賞者に委ねられるくらいに普遍的で余白の多い作品だったのだと思う。共鳴、共感、そのどれともつかないのだが、物語に散りばめられている様々な関係・心情・言葉の中に、自分にとってものすごく輪郭がハッキリみえる（ピントが合う）ものがいくつかあって、それがクィアネスと鬱だった。

　クィアネスの表象を画でみたのは初めてだった気がするので、衝撃だった。わたしは従来「自分」の存在する物語が欲しいという感覚はなく、それはわたしの物語は今わたしが生きているこの人生一つしかないという寂しさに似た諦めだったと思う。マイノリティが表象された作品の存在意義を「作品に出てくる人物と同じアイデンティティを持つ人たちが励まされるから」にもとめるのは、理論ではわかっていても肌感覚としては理解していなかった。だから『after sun』をみて嬉しいと思った自分にはかなり驚いた。あの世界に自分は存在するだろうと心から思った。わたしはあの世界と組成を同じくして存在している。あの世界でわたしは異物ではない。

　二人はリゾート地で夏を過ごすのだが、リゾート地に来ているのはもちろん彼らだけではない。ティーンのグループ、小さい子供連れの家族連れ、老年のカップル。そこに当たり前にクィアの人間がいる。ソフィはパブの入り口でキスをする男性たち、プールのなかで抱き合い舌を絡めてキスをするティーンエイジャーの男女も、同じ温度でみていたと思う。
　わたしはきっとリゾートに同性の友人と二人できて、体力が尽きて疲れ果てた友人をホテルに寝かせた後、そっと部屋を出て夜のプールサイドを一人で散歩するのだと思う。そこで出会った一人の人と、どこから来たのか、誰ときたのかという他愛のない話をしながら、最後にはプールでキスをしていたカップルをなんとなく目で追いながら、パートナーをつくれないことを打ち明けると思う。

　わたしのクィア性は社会と摩擦しない。社会通念とも社会制度とも摩擦や衝突を引き起こすことがなく、ただすれ違い、ときには透明になっている。わたしは外観上は恋人（敢えていうならば彼氏）のいない女である。
　これまでのリレーションシップの経験を根拠として提示して、それと引き換えにしなければ特定のセクシャリティのラベルを得られないということなどあるわけがない。全てが自認に依拠しているものである。わたしはそもそも複雑かつ多様、流動的なセクシャリティを一語で表そうとすることが無粋だと思うが、しかし一方で、みなラベルをクラブのリストバンドのように使いながら、人を選り分け連帯していくように思ってしまう（この感覚はわたしのクィアコミュニティに対する無知からくるもの）。そこに入れないことの居た堪れなさ。実際ヘテロの友人たちの方が多くわたしのセクシャリティを知っているのにそれでも寂しい。わたしもあなたたちの感覚を理解できないし、あなたたちにも分からないでしょう、と突き放したくなってしまう。感覚や価値観の相違はセクシャリティの相違ではなく各個人との間で生まれるものなのに。

わたしは自分の経験からあれは無理これは無理ってリストを作ってったから実際した経験の中身とラベル（仮）としてのセクシャリティは事実と矛盾するし、その上で経験する前から忌避感があって避けてるものもあるし、忌避感はないけど経験に至っていないこともある。aftersunはこれらをまるっと至極当然に描いてくれている。（日記より）

　ラベル付けに懐疑的でありながら、そこから自分があぶれていることに寂しさを感じる中で、この映画はそれらを全て包括してくれた。本当に、全て。物語の中に誰かのセクシャリティを表す固有名詞が出てくることはない。だからみなどんなラベルを持っているのか（或いはいないのか）などこちら側には知る由もないのだ。さっきまで男の子と舌を絡めてキスをしていた女の子が、「男の子と遊ぶのってくだらない」という。彼女が果たして客観的にみたままにヘテロセクシャルなのかは誰も知り得ない。

🫀*˚‧ on Twitter: "自分の肌と他人の肌の接触をどこまで受け入れられるかが、それ即ち愛情や親密さの物差しになることはないということを改めて示してくれる映画だった" / Twitter

　娘にギプスを外してと頼めなくても、父親に日焼け止めを塗ってもらうことを躊躇っても、そこに愛がないなんてことはない。舌を絡めてキスができても必ずしもそこに愛情が存在しているとは限らない。その当たり前の事実に励まされた。

　そして鬱。どんなに幸せでも、そっと忍び寄ってきて、あっという間に全てを飲み込んでいく。一度知覚したら最後、死は常にそばにあって、必死にみないふりをするしかない。物語の結末自体はあまりにも遣る瀬無く、ただただ辛い。本当にどうしようもなく、死をさだめのようにすら感じてしまう。
　結末の喪失感から最近はよく監督によるインタビューや俳優陣のビハインドをみるのだが、主演の二人にはただ親密度を深めるための時間が二週間ほど用意されていたらしい。それもあってか、二人は本当に友達のように仲が良く、ソフィを演じたフランキー・コリオの快活さが本当に眩しい。11歳と27歳のという年齢差のある主演陣に対してもしっかりリスペクトがなされていたようで、安心する。作品を愛すことに後ろめたさを感じさせず、寧ろ誇らしささえ与えてくれるものは意外に少ない。映画館で観ることができてよかった。